私たちの体に流れる「原始の海」と、世界中の言葉が隠した「水」の秘密
毎日、何気なく口にしているコップ1杯の水。
私たちは、水がなければ生きていくことができません。
それはただ、喉の渇きを癒やすための無色透明な液体ではなく、私たちの命そのものを支える根源です。
では、なぜ私たちはそれを「水(みず)」と呼び、西洋では「アクア(aqua)」と呼ぶのでしょうか。
言葉の歴史をそっと紐解き、私たちの身体に隠された秘密を重ね合わせていくと、私たちが健康で、心地よく生きるために一番大切な「ある壮大なストーリー」が見えてきます。
私たちの身体と、この美しい地球は、すべて「水」という一本の青い糸でつながっているのです。

東洋と西洋の言葉が教えてくれる「水の正体」

まずは、遠い昔の人々が「水」という存在にどんな想いを抱いていたのか、言葉のルーツをのぞいてみましょう。
日本の「みず」という言葉。その語源を遡ると、最も有力なのが
「満つ(みつ)」「充つ(みつ)」
という言葉です。
大地を潤し、生き物の身体をあふれんばかりに「満たすもの」だからこそ、「みず」と呼ばれるようになりました。
また、「み」は「身(生命)」を、「ず」は「繋げる」を意味し、
「生命を繋ぎ止めるもの」
という優しい願いが込められているとも言われています。
一方で、英語の「water」の源流であり、ラテン語で水を意味する「aqua(アクア)」。
この言葉のふるさとをさらに深く遡ると、そこには単なる液体という意味だけでなく、「生命の力」
「動くもの」「生き生きと活動するもの」
というニュアンスが含まれていました。
東洋の祖先は、水を「内側から命を満たすもの」と捉え、西洋の祖先は、水を「生命を動かすエネルギーそのもの」と捉えていたのです。
「満たすもの」であり、「動かすもの」。
この古代の人々の美しい直感は、長い時を経て、現代の科学によって「まさにその通りだった」と証明されることになります。
身体の必要性:私たちの正体は、歩く「内なる海」
「大人の身体の約60%は水分でできている」と言われます。
生まれたばかりのピカピカの赤ちゃんにいたっては、なんと約80%が水です。
けれど、私たちはただ「水が入った袋」のように生きているわけではありません。
ラテン語の語源が教えてくれた通り、体内の水は激しく「動く生命の力」そのものです。
身体のなかの水は、血液やリンパ液となって、絶えずめまぐるしく循環しています。
わずか1分足らずで全身を巡り、細胞のひとつひとつに「生きるための元気」を届け、いらなくなったものを回収して外へ送り出しています。
私たちは誰もが「海」から生まれてきた
ここで、私たちが生まれる前の、とても優しくてロマンチックなエピソードをひとつ。
私たちの身体を流れる血液や、お腹の赤ちゃんを包む「羊水(ようすい)」の成分は、生命が誕生したとされる「太古の原始の海」の成分と、驚くほどそっくりなのです。
およそ35億年前、地球上で最初の小さな命は、あたたかい海の中で生まれました。
やがて生命が陸に上がるとき、彼らはその「故郷の海」を体の中に閉じ込め、大切に持ち運ぶことで進化してきました。

私たちは誰もが、お母さんのお腹の中にいるとき、その「原始の海」の記憶が詰まった羊水の中で育ちます。
お腹の赤ちゃんが聴くお母さんの心音や血流の音は、私たちが遠い昔に聴いていた「波の音」にとてもよく似ていると言われています。
私たちが波の音を聴くと、理屈抜きでホッとして癒やされるのは、身体のなかの水がその記憶を覚えているからかもしれません。
日本語の語源通り、私たちは遠い記憶の海で「満たされて」生きているのです。

地球を巡る「青い血液」と、私たちの健やかさ
この水の物語は、私たちの身体のなかだけで完結するものではありません。
窓の外の、広い自然に目を向けてみましょう。
人間の身体の約60%が水であるのと同じように、実は地球の表面の約70%も海や川などの水で覆われています。
この数字の奇妙な一致は、どこか胸を熱くさせます。
地球上の水は、太陽の光で温められて雲になり、雨や雪となって山に降り注ぎ、川となって大地を潤しながら、また海へと戻っていきます。
このダイナミックな循環は、地球という一つの巨大な生き物の「血液のめぐり」そのものです。
川の水が途絶えれば森が枯れてしまうように、地球の水が止まれば、すべての命は消えてしまいます。
豊かな水源があるからこそ、心地よい風が吹き、瑞々しい緑が育ち、私たちが吸うための澄んだ空気が作られます。
自然界の水が淀(よど)むと環境が壊れてしまうように、私たちの身体の水もまた、滞ると元気を失ってしまいます。
自然も、私たちの身体も、全く同じ「めぐりの法則」で生きているのです。
星の王子さまの作者が気づいた「水の本質」、そして、みずみずしく生きるということ
『星の王子さま』の著者として知られるフランスの飛行士、アントワーン・ド・サン=テグジュペリは、かつてサハラ砂漠に不時着し、何日も激しい渇きと闘いながら生還したという壮絶な経験を持っています。
彼はその後に書いたエッセイの中で、九死に一生を得て口にした「水」について、こんな言葉を残しました。
「水よ、お前には味も、色も、香りもない。お前を定義することはできない。お前を味わうというより、お前を知るのだ。お前は生命に不可欠だというより、生命そのものなのだ」
科学的なエビデンス(医学データ)を見ても、身体の水がほんの数パーセント不足しただけで、私たちは頭が重くなったり、疲れが取れなくなったり、心までカサカサしてしまいます。

健康でいるということは、難しい健康法を勉強することではありません。
テグジュペリが気づいたように、自分の中にある「生命そのもの」である水を、常に清らかに、生き生きと動かしてあげることに他ならないのです。
生きることは、水をめぐらせること。そして老いることは、その水が少しずつ愛おしく減っていくことです。
日本語では、若々しく輝いている様子を「みずみずしい」と表現し、命を終えることを「枯れる」と言います。
(年齢を重ねるごとに、身体の水分が少しずつ減り、おじいちゃんやおばあちゃんになる頃には約50%になります。)
水分を保ち、巡らせることこそが、私たちが「生き生きと生きる」ことの本質。
だからこそ、今あるその潤いを、大切に巡らせてあげたいのです。
コップ1杯の水から始まる、心と体の調和
「水(みず)」という言葉に込められた「命を満たす」という願い。
「アクア(aqua)」という言葉に隠された「生命を動かす」という力。
そして、私たちの身体と地球の自然を繋ぐ、太古の海の記憶。
そう考えると、毎朝飲むコップ1杯の水は、単なる水分補給ではなく、自分の中の海を潤し、地球の大きな自然のめぐりと自分をカチッと同調させる
「細胞のひとつひとつが、そっと息を吹き返す合図」
のように思えてきませんか?
日々の忙しさの中で、私たちはつい、自分の身体が「水」の恵みそのものであることを忘れてしまいがちです。

肌の乾燥や、なんとなく続く不調は、あなたの中の海が
「めぐりを止めて、寂しがっているよ」
と教えてくれるサインかもしれません。
今日も、自然の恵みである美しい水をたっぷりと身体に迎え入れ、あなたの中の海を満たしてあげてください。
みずみずしく生きることは、あなたの命を、世界で一番大切にしてあげることなのですから。
スタッフ – Y.Morita
